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コピーライターから見た日常
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余白考
とにかく時間がないと、何から奪われて行くかというと、個人的な娯楽です。
優先順位を付けないとすべてができなくなる、となった時に
自分が何を削ったかということを上から順に見て行きましょう。

1.映画
映画館にはもう、おそらく2年は行っていないのではないでしょうか。
何とか観れたぞというのは、ミラノの帰りに飛行機で、
The Artist と ステキな金縛り くらいのものです。

あとは、たまにテレビでやっているもの。

2.美術展などの展示モノ
美術鑑賞がものすごく好き、というよりは、観たいものだけは行く、
というスタンスで足を運んでいたのですが、ついに去年はTCC賞展さえも行けない、
という体たらくでした。

3.テレビドラマ
CM中心に観てしまうのは職業病かと思いますが、
帰宅するともう深夜で、かろうじてどうしても見たいと録画した、
プロフェッショナルみたいなビジネスものや、歴史モノ、リアルタイムでみたいスポーツ、
そしてスポーツニュースくらいは観ますが、あとはなかなか観れません。

今年の大河ドラマなんて、1年分がテレビのハードディスクに貯まっているという有様。

あ、まず最初にこのブログを挙げないといけませんね・・・。

絶対に削らなかったのは、スポーツでしょうか。
さすがに頻度を減らさざるを得ないのはどうしようもないとしても、
趣味で体を動かすことは、まず優先させていました。

自分にとって何がいちばん大事なのかということが、よくわかりました。

そんな中、わずかな隙を突いて、先日、といってももう1ヶ月ほど前になると思いますが、
日本橋高島屋でやっていた、バーナード=リーチ展を見に行きました。

バーナード=リーチはこんな人です。


日本で民藝運動の一翼を担ったバーナード=リーチの陶芸にこれほどたくさん一度に触れるのは
初めてで、目の前で鑑賞する食器の数々は、それは見事なものでした。


ピカソがアフリカに影響を受けたように、
イギリス人である彼が日本に影響を受けることで生まれた作品は、
手法も、絵付けの作風も、東西の融合と言うにふさわしいものでした。

閉店間近の1時間で駆け足で回ったとはいえ、本物に触れることのよさは、
知っていながら、やはり必要なことだと思いました。

今回、このイベントを知ったのは、電車内の広告でした。
コピー中心の広告は、たたずまいは少々昔っぽいものの、きちんとした知識に裏付けられて、
説得力のある広告でした。



民藝運動を、頭では知っていたし、和食器屋の実家にはたくさんの民藝の商品が売っていたし、
実際に自宅でもそれを使っていたので、なんとなくわかった気でいたものの、
ああ、でももう一度触れてみたいと思った広告でした。

私が見た広告には、たしか「高島屋が70年ぶり2度目の民藝展を行います」というコピーが
書いてあったと思います。

時代はめぐります。
何かタイムトンネルを抜けた民藝運動が、ふたたび現代の解釈で蘇る、
そんな予感のあるコピーだと思いました。

百貨店という場所にあまり足を運ばなくなった私に、足を向けさせる理由をくれたこの広告の
おかげで、いい展覧会を鑑賞することができました。

広告は、この他にも2種ありました。





「西洋の大量生産文明に対する、東洋の美の挑戦」という言葉が響きました。
まさしくそういう時代だったのかもしれませんし、
いま、再びそういう時代に、決して後ろ向きではなく、発展的に戻るべきなのかもしれません。

西洋の文化を形だけ輸入してしまった日本が、すでに行き詰まり、限界を超え、
それでもその惰性で走ろうとする姿は、前時代的だと思います。

これだけ忙しくしている自分が言うのも何ですが、
余裕や余暇といった余白からしか、文化は生まれないでしょう。

バーナード=リーチ展を美術館ではなく、百貨店が行う。
消費者目線で文化を伝える場所として、美術館という鑑賞のための場所よりも、
百貨店という消費の場所は、適していると思いました。

残念だったのは、展覧会の会場を出たところで行われていた民藝の特設売場が、
70年前とさほど変わっていなかったことでしょうか。

欲しいと思うものが、ほとんどなかったです。
バイヤーの選定の目が、東洋の美を見いだすことができていれば、
この企画展は大きな成功を収めたでしょうけど。

そんな中で売れていたのは、当時民藝運動を主導していた人たちの作品たち。
1点数十万はする陶器が、いくつも売れていました。
百貨店には、本物が欲しいから行く。
民藝はもっと普通の人たちの手から生まれたモノですが、やっぱり百貨店である限りは、
そういった顧客の目に見合う商品を中心にしても、よかったのかもしれません。

そして、私が見たかったのは、その民藝運動に影響を受けた新進の作家たちだったのですが。
これぞバイヤーが選んだ商品だ、というモノを見せてほしかったというのが本音です。

70年後、第三回が行われるとしたら、今度は百貨店バイヤーの発掘力に期待したいと思います。










posted by 原 晋 | 21:08 | 広告 | comments(0) | trackbacks(0) |
ふかふかかふか
東京には次々に新名所が現れて、ブームになって、そしてすぐに忘れられていきます。
スカイツリーはしばらく続きそうですが、ヒカリエあたりは、そろそろ忘れられるような気がしますし、
ダイバーシティなんて、もう忘れています。

来年になるとオープンから1年、という特集が組まれて、レポーターが、
「あんなに混雑していた場所も、人はまばらです。」
なんて伝えているのでしょうか。

そんな中、ビックロがオープンしました。
ビックカメラとユニクロができた、と言えばそれまでなのですが、
なぜかこのよくある風景を組み合わせた施設に何千人も行列ができるのが、東京。

中身は・・・まあ、ビックカメラとユニクロですね。
ただ、お互いにメリットがあるのは、客層が少し異なることです。
ビックカメラは男性が多く、ユニクロは女性が多い。
年齢層も異なるでしょう。

そして何より、お互いに集客力のある施設だということが、組んだ理由だと思います。

しかし、オープンしてみると、この1週間、どれだけ多くの「ビックロ」ショッピングバッグを見たことか。
近辺に限らず、電車内でもたくさん。

やはりこのネーミングが伝播のスピードを生んだことは間違いありません。
ビックカメラとユニクロ。


2つの名前をくっつけただけの、ある意味だれでもできる名前は、
だれでもできるからこそ、だれでも伝わりやすい名前です。

既存の商品やブランド名の組み合わせとしては、もっとも効果的な名前です。
そして、これを選んだ上で、ロゴをユニクロベースにしたことも、大きいと思いました。
このロゴはユニクロのはずなんだけど、なんかちょっと違う。
そのおかげで、何となく気になる存在になりました。

これを二つの業態の違うクライアントに通したコピーライターと、
通すことを決断したクライアントは、いいジャッジです。

ともするとニセモノのように見えてしまうのに、こんなにテレビで、ニュースで取り上げられたら、
やっぱりメジャー感が出るのです。
こういったメディアの使い方も巧みでした。
仕込んでいるのか、自然発生的かはわかりませんが。

こういう戦略まで描けているネーミングは、すばらしいですね。

そんなすばらしい名前に対抗できるかはわかりませんが、ロッテから新商品が出ました。



食べるとふかふかとした、不思議な食感のミルク味ソフトキャンディ。
食べた瞬間、この食感をネーミングにしたいと思いました。

伝わりやすく、かわいらしい。

やさしい噛み心地、やさしい味、ソフトキャンディなのに歯につかない。
この子には、そんな名前がふさわしいと思いました。

スーパーで見かけたらお試しください。
歯につかないので、子どもにあげても気にならず、お母さんも安心。

なんだかかわいらしい、子どもが泣きやむムービーまで作られていました。

かわいいわが子が定番商品になることを祈りつつ、
名付け親はゆっくりと見守りたいと思います。

ちなみに、エナジーガム ENGINE も、名付け親です。
こちらはコンビニで。
残業や、長い会議にぜひ!

posted by 原 晋 | 18:57 | 広告 | comments(0) | trackbacks(0) |
兄弟と兄弟
キャプテン翼を読んでサッカーをはじめました。
いま、あのストーリーのどこから影響を受けたのかということを思い返すと、
その一つ一つの個性ある技をやってみたいと思っていたのではないかと思います。

つまり、ある意味理想の教科書になっていたということです。
ドライブシュートを真似して、オーバーヘッドキックをやろうとする。
そういう感覚が、マンガに対してあったわけです。

ですが現実は全く異なります。

しかし世の中は野球全盛。
町内会は、男子はソフトボール大会に、女子はバレーボール大会。
習い事には野球はあっても、サッカーはありません。

福岡県は特に野球が盛んだったからかもしれませんが、
サッカーの影響はどこにもありませんでした。

だから、テレビは野球。
プロスポーツも野球ファン。
ですがやることはサッカー。

コーチはおらず、部員の中でうまいヤツが片手間で教えてくれたり、くれなかったり。
そういう中でサッカーをやってきたので、基礎もよくわからずに試合に出ていました。
当然、チームは弱かったのですが。

テレビ番組くらいはあったのではないかと思われるかもしれませんが、
番組といえば、日本リーグのヤンマーvs日産みたいな試合がNHKで放映される以外は、
楽しみはとにかく年に1度のトヨタカップでした。

海外の選手が日本に来て、時間差なく有名選手を拝める。
今年はどこのチームが来るのかが、とにかく楽しみでした。

特にヨーロッパのチームを楽しみにしていて、
プラティニやオランダトリオといったスター選手が来日することを期待しているのに、
レッドスターベオグラードが来た時には、ミランとかユーベとかが何で来ないんだ!
と子どもながらに1年待ち続けた日を台無しにされた感でいっぱいでした。

いま考えると、けっこういいチームだったんですけどね、レッドスター。

EURO 2012を見ています。
毎日、海外の生中継を見るのでいい具合に寝不足ですが、
ワールドカップやオリンピックと同じくらいプライオリティが高い大会です。

マンガなんか見なくても、こういう映像が生で見られる環境は、
子どもたちにとっては、いい教科書があってすばらしいと思います。

今日、オフィスへ来ると、大久保兄弟が「宇宙兄弟」を読んでいました。
いや、それが言いたいだけだったのですが、正確に言うと、みんな読んでいました。

いま、シカクはマンガブームで、というのも成田の旦那様が持っている「岳」を
オフィスに持ってきたことから、にわかにオフィスにそれが伝播しただけで、
もともとはそれぞれにブームを持っていたのかもしれません。

「岳」をご存知ない人のために少し説明しておくと、
昨年映画化された大ヒット作品で、山を舞台に山岳救助隊とボランティアの主人公を描いた
マンガで、つい先日雑誌での連載が終わった作品です。

登山が趣味の自分にとってこのマンガはいけません。
もう電車の中で泣いて泣いて、いけません。
ともかく山という場所ですから、そして山岳救助隊であるわけなので、
事故を描写した場面がとても多いわけなのです。

作者はアメリカの山々をいくつも登った経験を持っているらしく、
その描写は克明で、もちろん、舞台となっている北アルプス、穂高岳周辺の描き方はもっと克明です。

私自身が何度も足を運んだことのある場所ばかりが出てきて、
現実とマンガの世界が交錯して、感情を揺さぶられる場面が多いのです。

このマンガを読んですぐ、いつもパーティを組む元いた会社の同期の顔が浮かびました。
彼がロッククライミングをはじめて、冬山も行くようになったのは、
さてはこの「岳」の影響だな、と。

聞いてみると、予想通りでした。
彼は、技術が足りないから連れて行けない、と5年ほどいっしょに登りませんでした。

その間に体重を20キロ近く落とし、
体力と筋力を付け、山岳会に入って技術も磨き、一昨年復帰した時には見事な山男っぷりを
見せつけて、昨年久しぶりに二人で南アルプスに登りました。

子どもたちには本物の教科書が目の前にたくさん転がっていて、
ひょっとしたら、私がキャプテン翼を読んでサッカーを始めたような影響を、
いまは大人が受けているのかもしれません。

マンガ自体がそういう仕組みの中で描かれているというか。
あの頃マンガからさまざまな影響を受けて育った子ども世代が、
大人になってもなお、マンガから影響を受ける。

考えてみると、いちばんマンガの冊数を売りさばこうとすれば、
団塊ジュニアである我々を狙うのは当然であって、
そこに向けた何かのマンガがヒットするのは必然であるとも言えますね。

経済と切り離せない、資本主義の仕組みが常にどこかに影響を及ぼしている。
原発を切り離せない社会の仕組みと同じと考えると、
マンガみたいにポジティブに使えているのならよしとすべきでしょうか。

先日とあるお店で見つけた商品。


商品名は、「ふつうのドーナッツ」でした。

モノを売らないといけない、というプレッシャーから、どうしても店頭では
難しいネーミングや押しの強いPOPなんかが氾濫してしまいがちです。

その中で、まったく逆のセンスで名付けられたドーナツ。
バイヤーに仕入れてみようと思わせた時点でまず一つ成功。
そして、私が買おうと思った時点で二つ成功。

ふつうと言われるとちょっとおいしそうに思えてしまう。
難しく考えられた商品がいかに多いか、ということを思い知らされた商品名でした。
posted by 原 晋 | 16:24 | 広告 | comments(0) | trackbacks(0) |
文化本
もともと外で遊ぶのが好きな私が本格的に本を読み始めたのは、
おそらく井上靖の「風林火山」以降なので、
サッカー部を成績が悪すぎてやめたあとの、高校2年生の時なのではないかと思います。

それまでは、読むものといえば、マンガでした。
小学生の時には姉と妹と、それぞれ自分の好きなマンガを単行本で集めていて、
姉が「うる星やつら」とか、なぜか「ドラゴンボール」が好きで、
私が「ドラえもん」「キン肉マン」「キャプテン翼」「こちら亀有公園前派出所」が好きで、
妹が・・・あいつ俺たちの買ったマンガ読むだけで、自分では買ってないよな・・・さすが末っ子。

中学生のころからは、マンガは雑誌でした。
そう、週刊少年ジャンプです。

当時は流通が発達していなかったからか、北九州市とは海峡を挟んで向こう岸の、
山口県まで買いに行くと、九州での発売日よりも1日だけ早く買えるから、
なんて理由でわざわざ買いに行くクラスメイトまでいました。

田舎って、ヒマだったんですね。

もっとも、私はお金がなかったので買えなかったですが、誰かが教室で読んだものを、
最後に回してもらって、読んでいました。

当時はそういったマンガや、そしてファミコンが、親世代や世論の、子どもへの攻撃対象でした。
マンガを読むと想像力を失うとか、ファミコンが運動不足を生み出しているとか。

ごもっとも。
ですが他方で現在の日本らしさがマンガやゲームにあることを考えると、
安易に一面だけを見ることはできないですね。
日本らしい伝統社会を脅かす存在は、いつもそんなイバラの道を歩くことになるのでしょう。

私は古くからある日本文化もとても好きで、今は以前よりその思いを強くしていますが。

コピーライターの世界も、独特の日本文化だと思います。
「広告は視点だ」と私は常日頃から言っているので、その意味ではコピーも視点が新しかったり、
共感できるものであったりすれば、言葉としての表現の半分は完成されていることになります。

そしてもう半分の言語としての表現が、日本のコピーライティングの独自性を作り出しています。
包み隠しながら表現する日本語の特殊性に助けられながら完成した一流のコピーたちは、
そのすべてが心に響くものばかりです。

PIEブックスから、「心に残る名作コピー」が発売になりました。


今回、縁あって、コピーライターの大先輩である赤城廣治さんといっしょに、
その名作たちの解説を書きました。

とても恐れ多いことです。
そのほとんどのコピーが、今も現役で活躍されている名手たちの手によって生まれたものなので、
もちろん東京コピーライターズクラブをはじめとするいろいろなところで
実際に出会い、話をする人たちばかりです。

その諸先輩たちの反応に、今からドキドキしています。

この本には、あまり古すぎない1980年代から、ここ数年までの名作グラフィック広告が収められています。
私が幼少の頃、どんな時代背景があって、だからこそどんな意味を持ったコピーだったのか。
そのことがよくわかる一冊になりました。

広告は一過性のものである限り、その時代や文化といった背景を利用することが多く、
だからこそ、のちに名作と言われるようになっても、当時を知らなければそのコピーを
理解することができない、といった現象が起こります。

たとえば仲畑貴志さんの丸井のコピー「好きだから、あげる。」は当時の贈り物が
お中元やお歳暮という需要しかなかったという背景で登場したからこそ、
「好き」という理由で誰かにモノをあげるという提案は、時代に衝撃を与えるコピーになりえたのです。

それはコピーライターになって勉強して初めて知ったことでした。

この本には、この仲畑さんのコピーをはじめとする225の名作が収蔵されています。

権利関係の影響も少なからずあり、名作中の名作と言われるものがないこともありますが、
その代わりに採用することができた名作も多くあります。

ゴールドの表紙は、本屋さんに積まれていてもとても目立ちます。
私のように地方に住んでいた人に取っては、この本で初めて触れる広告もあるでしょう。

これから自分の生み出すコピーも、将来こんな形で本の中に登場できるだけのパワーを
持つものにしたい。

そう思った、ひとつの仕事でした。
posted by 原 晋 | 16:10 | 広告 | comments(0) | trackbacks(0) |
欧日ビュー


ちょうど1ヶ月前、ミラノに行きました。
ミラノサローネに出展するADの柿木原さんのお手伝いで、撮影もあって。
シカク総動員で強行した5年ぶりのヨーロッパは、5年経っても変わらず、
石造りの街はどこへ行っても美しく思えました。

あらためて、ヨーロッパのどういうところが好きなんだろうと思うとき、
先日仕事でインタビューした、とあるヨーロッパ人の社長さんの言葉が思い出されました。

ヨーロッパは余暇が多い代わりに働こうという意識は低く、伝統的で保守的な場所。
日本は働くことへの意識が高く、モノにあふれていて、いつも新しく、刺激的な場所。

だからその社長さんは日本で起業して、スウェーデンで暮らしながら、
ときどき日本にやってきては、日本で刺激を受けて帰ります。

私は日本で暮らしていて、ときどきヨーロッパへ行っては、
ゆったりと流れる時間に身を任せます。

ないものねだり、ということでしょうか。

初めて海外へ行った頃、日本よりも海外という、目に飛び込むもの全てが新しい場所に、
大いに刺激を受けていて、その刺激を受けるために海外へまた行くという具合でした。

それがヨーロッパを何度も訪れるつれ、観光名所も訪れるものの、
都市ではなく、地方に足を運ぶようになってきて、
今や都市でも地方でも、人々の日常を見たいと思うようになりました。

観光というよりは、生活を覗くという視点でしょうか。

日本でも、最近はそんな視点を大切にしています。
それは実家が和食器屋を営んでいることに関係していると思いますが、
日本らしさや和といったもののよさが、幼少の頃からどこかに蓄積されていて、
少しずつ自分の中からにじみ出てきているというようなイメージです。

昨年、ポロシャツ現物広告という形でデビューしたOne Thing by Munsingwear。



染色、縫製、刺繍など、全行程を日本で行った100% JAPAN MADEの商品群の、
クラフトマンシップを伝えるために、今年はもう一歩進んだ広告表現に挑みました。

昨年秋の提案から6ヶ月の時間を経て、シカクメンバーを総動員して完成した映像は、
クライアントさんとの関係ができていて初めて作ることができる手段でした。

Munsingwearを象徴するペンギンのロゴ。

このペンギンの刺繍が、
コマ撮りされたポロシャツの布地で作られた花鳥風月の世界の中を旅する、というストーリーで、

日本の美しい技術が注がれたウェア
日本の美しい自然が表現された18の和のカラー

の魅力を Made in Beautiful. という言葉に込めて伝えています。

映像は、同時に制作したOne Thing by Munsingwear 公式HPからどうぞ。
(映像をクリックすると、拡大画像に切り替わります)

ホームページでは縫製工場の写真を通じてそのこだわりを伝えています。
徐々にブランドとしての形が整いつつあります。

そして6月4日から2週連続で展開される、新宿駅構内の壁面B0 20連広告。
こちらも鋭意作成中です。

その模様はMunsingwear公式Facebook等でチェックしてみてください。
乞うご期待。



posted by 原 晋 | 18:07 | 広告 | comments(0) | trackbacks(0) |
セブンフレッチェ

佐々木さんはというか、サントリーはというか、
BOSSの「ゼロの頂点」のCMがすごいのです。

パワーが。

完全に映画の予告だと思って見てたのですが、完全にCM。
制作費をタレント2人+コシノジュンコに集中した分、
それはそれで好きだった「食後の余韻」シリーズなどよりも、
他の部分にお金を掛けることができたのか。

日本では実現しにくいくらいのまばゆいクオリティ。
ネーミング、パッケージ、企画、音楽、演出、衣装、印刷まですべて。


グラフィックだけでもこのクオリティ。
そしてCMはその「ゼロの頂点」とは少し離れて見える世界観が、この続きを気にさせます。

もうWEB上では全編公開されてるんじゃないかと思って見てみると、
全編も何もないのか、この先がどうなるのか、続きはWEBでなんて小さなこと、
この佐々木がやると思ったかというように、何にもない。

今後どうなるかという全体の気になるストーリーが多少書いてあることと、
コシノジュンコが商品についてちょっとだけしゃべらされてるのが見れるくらい。
しかもそれさえけっこう面白い演出。

久々に見た圧倒的な広告です。
グラフィックもすばらしいですけど、これはコンセプトがしっかりしていて、
そしてそれを受け入れるクライアントがすばらしいからでしょう。

この案を通せるほうもバケモンですが。

しかし商品と関係ない。
関係ないんだけど、関係ないところに見えてやりきってるところがすごい。
飲みたくなるかどうかわからない。
でも気になることはメチャクチャ気になる。

自動販売機の少ないサントリーのことだから、コンビニに寄らない限りは出会わないでしょう。
ティザーのCMの時に買ったし、飲んだけどもう味とかもよく差がわからないし、
本当は機能性商品だということでもあるのだから他の文脈で語る可能性もあるんだけど、
それでいてこの商品でこの広告が今の自分に考えられたかというと、敗北感に満ちる。

しかしネーミングがとても好きだ。

ホームページは、「シーズン2公開初日」の今日、
すでに2000近いfacebookの「いいね!」を獲得しています。

CMを投下すること以外の仕掛けはないのに、アイディアだけで話題を作れています。
ホームページのアクセス数も、もう大変な数値になっていることでしょう。

さて、2月も終わりになりました。

また今年もTCCの審査の季節がやってきて、あいかわらず思うのは、
こいつらと戦うのか、ということです。

審査委員長の仲畑さんはいつも、
「どんなに小さな1本のコピーでも、もしそれがビッグキャンペーンのコピーだったら、
 そのコピーの効果はどうなるのか、という想像力を働かせて審査してほしい。」
と言っています。

もし「顔、上げよう。」というコピー


が、BOSSじゃなく、宇宙人ジョーンズじゃなかったらどういう評価なんだろう。
とも思うのです。

でも今年もまたこのどでかいキャンペーンの前に、
犬のお父さんや宇宙人ジョーンズやドラえもんの前に、
そのすべてをやってる佐々木さんの前に、自分の仕事が小さく見えるんだろうな。

今年のCMの応募数7本。
去年たくさんあったラジオがなかった分、減ってしまった。
グラフィックの応募は1ヶ月先ですけど。

7本全部の予算合わせたら、ようやくネーミングとパッケージデザインくらいできる金額になるのかな。

1年の仕事の決算のようなTCC賞の審査。
どうかちょっとでもこの「大人買い」の世界に一矢報いてください。

7本の矢でもポッキリ折られそうだけど。
検討を祈る。
posted by 原 晋 | 23:25 | 広告 | comments(0) | trackbacks(0) |
上野の青森
怒濤のような昨年1年を何とか乗り切り、
今年に入ってシカクは全員が少しゆったりとスタートしています。

フリーの人間にとっては、ゆったりとしている時間というのはつまり一円にもならない日々なのですが、
それはそれで楽しむほうがいいかと思いますので、それでよし。

なんてことを思っていたら、そんなのんびりムードもこの3日間は急速に減退し、
一気にトップギアに引き上げて、エンジン全開になりました。

昨年一年忙しい日々を過ごして思ったことは、
日本人は何でこんなに忙しく働くのだろう、と。

とにかく忙しい人が多すぎるような気がします。
景気が減退している訳ですから、ゆっくりとした時間を過ごすことも大切なのではないかと思うのですが、
景気が悪くなっているにもかかわらず、どうやらお仕事は忙しくなっているようで。

それでいて聞く話は景気のいい話はありません。
他の人からは会社への不満はよく聞くし、給料も上がらないし、いいことない、と。
通勤電車に乗れば無言で能面のような顔をしている人ばかり。

とかく日本人は楽しむことが苦手なのか、他の人への配慮が過ぎるのか、
だれかが働くと自分も働かなくてはいけないような風潮があります。

負の連鎖に思えるのですが、誰も自らのんびりしようとは言わず、
結局全員が何か「働かなければいけないムード」の中でもがいているような。

昨年、驚いたニュースのひとつに、三越伊勢丹グループが「定休日を設ける」ということでした。
これがニュースになる世の中なんだと。
そういえば定休日って、流通業界には聞かない話になってましたね、いつの間にか。

24時間開いているコンビニは便利だけど、経営する側は、
開けていないと他店との競争に負ける、といった強迫観念に刈られていて、
現場のことは見えていないのでしょう。

スピードとチャンスを失わないための経営は、日本人の休めない気質には向いているようで、
本心は誰も望んでいないことなのでしょう。
もはやお店が開いていてもそこにお客さんが入っていないという状態が多いのが、
消費者から見ても気になるのですが。

昨年末、同じくフリーランスコピーライターの先輩が、
「12月はもうお休み。よく働いた。」
と言って、のんびりしていました。

いいですね。
そういうの。

お仕事は断ったことがないので自分自身には可能かどうかはわからないです。
でも、会社員時代には毎年必ず全てのお休みを消化していたことを思うと、
もし仕事が入っていない時間があるとしたら、それは自分の時間に使おうというスタンスは、
どれだけ忙しくしていても忘れてはいけないな、とあらためて思いました。

さて、こうしてひと呼吸置いている間に、ひとつできました。



上野駅に本日オープンした、JR東日本が運営する、主に東日本の地域商材を扱うショップです。

のもの

という名前を付けました。
ショルダーには、「旬のもの、地のもの、縁のもの。」(縁=ゆかりと読みます)

それが由来です。


ネーミングが決まってすぐ、ADの堂々さんは「へのへのもへじ」のようなデザインを施してくれました。

このショップでは、たとえばオープンから3週間は青森県の商材を扱うフェア、
「青森のもの」
を開催し、それは県ごとに3週間くらいの単位で毎回変わります。

青森のもの、の後には、茨城のもの、というように。

毎月のフェアでは、各県のオリジナルフラッグが用意され、店内・店外で展開されます。


お店には、現地に行かないと手に入らないものがたくさん並んでいました。
行くたびごとに違う県のものを扱ってくれるショップには、その場で食べられるカフェも併設されています。


毎回、その地域の食材を使った特産品が提供されるので、メニューも毎回楽しみです。

さて、そんな のもの で私が買ったのは、


青森シードルと八甲田のチーズケーキ。

めちゃくちゃうまいです。
さすがに地域自慢。

買って帰ってすぐ、妻は4個食べてました。
そりゃ食い過ぎかと。

青森の、少しゆっくりとした空気を、家に持ち込むことができました。

本当はもっとたくさん野菜とかを買って帰りたかったのですが、
打ち合わせに野菜持って行けないな、と。
また行くとしよう。

そんなわけで、今年はゆっくりと働く・・・なんてことは自分にはまだ早いですが、
ゆっくりできる時間を持つようにしようと思った1月です。

きょうは雪がよく降るオープン日になりました。
青森も、今年はたくさん降ってるみたいですね。
posted by 原 晋 | 13:12 | 広告 | comments(0) | trackbacks(0) |
難関購入
冬になると今もまだスキー場へと通います。
昔に比べるとかなり人の少ないスキー場は、人気がないところであればリフト待ちは
土日でもほとんどありません。

もともとスキーをやっていたのですが、流行には勝てず学生時代の途中から
スノーボードも並行してやるようになり、
一時期からはスノーボードで新雪を攻めることにやみつきになりました。

そうして、ハイクアップしたり登山をしながらスノーボードをしたりと、
古くなったスキーを廃棄してからは、スノーボードを一式買い替え、
スキーはブーツとストックだけで、板は常にレンタルする日々を送ってきました。

スノーボードで新雪を滑るようになったきっかけとして、
そのふわふわな感触と、こけても痛くないことが挙げられますが、
何よりも悪天候の日が好きになるということが大きいと思います。

年齢を重ねるにつれ、コンディションのいい日にはたくさん滑るけれど、
そうでない日は早めに上がったり、宿でのんびりしたりと、
悪天候下ではあまり積極的に滑らなくなっていました。

スノーボードでも、パークで跳んだりはねたりしていた時代はやはり
コンディションがいい日は積極的に滑っていたのですが、
友人が目の前で骨折したのを機にパークを卒業し、
新雪に入るようになってからは、雪が降り続ける日こそチャンスだという、
思考のポジティブな転換が起こりました。

それ以降、晴れた日はスキー、雪の日はスノーボード、雨が降ったら宿で日本酒という
充実した冬山生活になりました。

さて、そんな、もう子どもの頃から続く冬山生活の中で、
毎年、だいたい古くなったり壊れてしまった道具を何かひとつ買い替えるのですが、
今年真っ先に買ったのは、スタッドレスタイヤです。

昨年まで9年も使ったスタッドレスタイヤは、溝は十分残っていたものの、
さすがにゴムが硬化してアイスバーンで思いっきり滑っていました。

買おうと決めたらモノを選ぶのは好きなので、たくさん比較します。
ポイントにしたのは、実はドライ性能です。

スタッドレスタイヤを使っていて思ったのは、ほとんど雪道を走らないこと。
雪国に住んでいる訳ではないので当然ですが、走る場所はほとんど普通のアスファルトです。
スキー場へ向かうアプローチのほうがよっぽど長いわけですから。

現代のスタッドレス性能ははっきり言って広告を詳しく比較したり、
使った感想を見てみたところでほぼ横一線にしか見えません。
それほど成熟してきた市場だと思います。
たぶんどのタイヤもスタッドレス性能はあたりまえにいいはず。

前回履いていたピレリのスタッドレスは、高速道路での安定性が非常に印象的でした。
これはF1にタイヤを供給している企業として、なのか、イタリアのアウトストラーダを走る
ために開発されたためなのか、定かではありませんが、実感として硬めのタイヤだと感じていました。

ですので、最初にピレリを検討しました。
同時に高速性能の高い、ミシュラン、コンチネンタルと、ヨーロッパのタイヤを比較検討しました。

そして170キロまで出せるように進化したミシュランに白羽の矢を立て、購入を決定。
しかしなぜか私の車のタイヤサイズは売り切れ続出。

続いてピレリ、コンチネンタルも売り切れ。
高速性能は劣るが、信頼のブリヂストンにしようと思っていたところで、
1社、190キロまで出せるという恐ろしい高速性能を持っているスタッドレスに出会いました。

ナンカン・・・?

聞いたことのないメーカー。
他社が1本35000円以上するのに、なんと1本7890円。

命を預かる製品で、この値段の安さはかなり疑心暗鬼になります。
でも190キロ。

調べてみると、台湾製でした。
雪・・・降らないよね、台湾。
ますます怪しい。

でも、昨年台湾に行って、その勤勉な国民性と日本から学んで、
すでに日本を越えているとまで言われている教育レベルの高さを知っています。

それを信用するか、やはり日本製にするか。

迷った時は、初めてのほうを選ぶのが自分らしいと思っています。
使ってみて、初めてあーだこーだ言える訳です。

で、ナンカンのタイヤに決定。
破格!

感想からすると、まーーーっったく問題ないです。
高速性能はもちろんのこと、スタッドレス性能も一切滑ることはありませんでした。
雪道は慎重にスピードを落として運転しているから、ということもあると思いますが。

この値段なら3年に1回新品にしてもいいですしね。
スタッドレスは劣化してからが性能に差がつきますから。

やっぱり台湾はいい国です。

そのNANKANGのホームページを覗いた時に見たロゴ。


んー。
どこかで見たことがあるような・・・。


あー。
なるほど。

横浜ゴムの・・・。

ちょっと不安になりました。
でも、日本のことが好きなんですもんね、台湾の人。
敬意を表してるだけだよね。
もしくはホントにたまたまだよね。

いいんです。
台湾のタイヤ、快適ですもん。
posted by 原 晋 | 13:35 | 広告 | comments(0) | trackbacks(0) |
イヤアンプ
TCC(東京コピーライターズクラブ)が1年に1度審査を行い、
そこで選ばれた今年を代表するコピーが一冊の本になります。
そして発刊を記念し、授賞式とともにパーティが開かれ、お披露目となります。

今年もコピー年鑑が届きました。
今年は例年に比べ倍くらいのコピーやCMが載っていて、その見本市は膨大です。

普段ならパラパラと読んでしまうものが、今年はなかなか終わりません。
その物量に圧倒されるとともに、目移りが激しく。
値段は変わらないのですが、例年よりかなりお得な感じがします。


白を基調としてイラストを主役とした上品な装丁は、毎年工夫を凝らした年鑑デザインの中でも
やさしさがあふれていて好感度が高いと思いました。

例年よりたくさん掲載されているということは自分の作品にも言えるわけで、
今年は自分史上最多の作品が掲載され、たくさん載ったなあと思っていたのですが、
残念ながら他の人たちもたくさん載っているわけで。

1年を振り返る指標としてこの年鑑に掲載されることはコピーライターの力量を
量られているようで、そういう意味ではたくさん載ったという事実は喜ぶべきことです。

年に1度、自分の1年を見つめ直す時期でありながら、そうは言いつつ目の前の仕事は
どんどん動いていきます。

今年もチャンスをもらった様々な人々に感謝しつつ、
そのチャンスを企業のチャンスに変えることにどれほど貢献できたか。
そんなことを考えてしまいます。

応募が来年2月までの作品だということは、
すでに来年の年鑑に掲載されるかもしれない広告は、半分は出てしまっています。

もう広告賞というものにはこのTCC賞しか出さなくなって久しいのですが、
審査に立ち会って7年が経過して、やはりいちばん公平に審査されていると思えます。

もう11月。
今年もたくさんの広告が現れ、去っていきました。
影響を受けたものが、自分の実体験の中でどのくらいあるでしょう。

先日ビックカメラを歩いていたとき、目に付いたディスプレイ。


Marshallは、ギターのアンプなどを作っているメーカーです。
ライヴ会場なんかでよく見かける、音楽をやる人にとってはよく知っている企業。

そのアンプのミニチュアに掛けられたヘッドフォン。
ヘッドフォンを出しているんですね。

このディスプレイと箱がすごくカッコよくて、
そして何よりこのMarshallのロゴのイメージが全体に表現されている世界観がたまらず、
商品を手に取りました。

特に気になったのは、小さいほうのイヤフォン。

ゴールドとブラックのクラシックなデザインながら、iPodを操作できる簡易型のマイク付リモコンが
搭載されていて、プラグもアンプに差すみたいな大きなゴールドというこだわり。
一目惚れです。

右耳に比べて、なぜか左耳の穴が小さい私の耳は、いつもイヤフォンが合わず、
耳が痛くなって長時間音楽を聴くことができません。

ところがこの商品は、


耳に当たる部分が大きく、耳の穴にフィットするけれども入り込まない。
だから試着しても長時間音楽を聴くことに耐えられそうな感じです。

何年も探し続けて、そのたびにあきらめて、
いつものSONYのヘッドフォンを購入して、
結局1年くらいで断線してすでに6代目に突入していました。

買っていた理由は、ネックバンド型で髪型を崩さない。
もう一つは、軽量で疲れない。
音もけっこう好きですが、ほぼその2つの、いわば音楽の本質とはほど遠い消極的な理由だけです。

そんな状況をようやく脱するだけの魅力を持った商品が現れたのです。
大切な音質は重低音の幅が大きく、ライヴに強いイメージのMarshallっぽい雰囲気。
好みとは少し違うけれど、それよりも買うだけの理由が揃ってしまいました。

パッケージも、


広告もデザインコントロールされています。


ここまで条件が揃うと、買ってしまいます。
こだわりが強いほうの自分でも。

やっぱり、商品と売場と広告の一致は大切です。
衝動は人の中にあって、それをどこまで引き出せるか。
きっかけとして、まずはそこが大切です。

でも、たまらなく欲しいと思わせてくれた広告も、商品を見た途端にその気持ちがしぼむ。
たまらなく欲しいと思わせてくれた商品も、広告を見た途端にその気持ちがしぼむ。

今年は少し、そんな経験が多い一年でした。

つくづく、買うという行為にまで至らせるのは難しい。
必要なものを選んで買う時代です。
ムダなものは買わない時代とも言えます。

買う理由を与える広告を。
しかもたくさんの理由を。
ポスター、CM、パッケージ、リーフレット、その一つひとつが購入理由になる一体感。
商品の魅力は、もちろん最初に大切な条件ですが。

あと4ヶ月となった来年の応募までに、作れなくてもいいのですが。
作るための努力は怠ってはいけません。

さて、来年の今頃はどんなコピー年鑑を手にしているのでしょう。
その期待は、すべてこれからの自分自身に掛けられるものです。

まず自分が欲しいと思えるように。
posted by 原 晋 | 21:25 | 広告 | comments(0) | trackbacks(0) |
林檎感性
MacBook Airを購入して10ヶ月ほどが経ちます。
この製品を買って気づいたことは、
もちろんその軽さや起動の速さといったスペック的なこともありますが、
生活スタイルまでが変わってしまったことです。

シカクが四谷に引っ越して最初のころは、オフィスで仕事をしていました。
閑静な住宅街は物事を考えるには便利で、しばらくはオフィスにこもって仕事をしていたのですが、
やはり打ち合わせの合間にも仕事をしたほうが効率がいい。

それもあって、購入に踏み切りました。
そしてWi-Fiを契約してネット環境を整えた後は、
もうほとんどスタバで企画やコピーを考える日々に。

気分によって、場所を変えながら考えるスタイルに変わりました。

Apple製品とはもう15年以上のつき合いになるのですが、
製品を買う度に、こういうライフスタイルの変化が生まれます。

それを含めてきっとこの会社や製品が好きなのでしょう。
昨日のジョブスの死はとても残念な出来事でした。

Appleの広告ももちろん、大好きです。

海外の広告で最も好きなコピーを1つ挙げてくださいと言われたら、
間違いなくAppleのThink Differentの広告コピーを挙げると思います。


クレージーな人たちがいる。

反逆者、厄介者と呼ばれる人たち。

四角い穴に、丸い杭を打ちこむように

物事をまるで違う目で見る人たち。

 

彼らは規則を嫌う。彼らは現状を肯定しない。

彼らの言葉に心をうたれる人がいる。

反対する人も、賞賛する人も、けなす人もいる。

しかし、彼らを無視することは誰もできない。

なぜなら、彼らは物事を変えたからだ。

 

彼らは発明した。創造した。人の心をいやし、奮い立たせた。

彼らは人間を前進させた。

彼らは人と違った発想をする。

そうでなければ、何もないキャンパスの上に

芸術作品は見えてくるだろうか?

静寂の中に、今までにない音楽が聞こえてくるだろうか?

 

私たちは、そんな人たちのために道具を作る。

クレージーと言われる人たちを、私たちは天才と思う。

自分が世界を変えられると本気で信じる人たちこそが、

本当に世界を変えているのだから。

 

Think different  


この広告は、スティーブ=ジョブスの生き方そのものだったのではないでしょうか。

この次に出るApple製品がどのような変化を見せるのかによって、
今後のApple社のイメージは大きく変わってくるでしょう。

今や、iMac、MacBook、MacBook Air、iPod、iPad、iPhoneに囲まれて生活する日々です。

持つことで喜びを得て、持つことで気分が高揚し、持つことで誇らしい。

そういう製品は、日本ではなかなか見つかりません。
好きな車に近い感覚。

製品としての完成度の高さは言うまでもないのですが、
Appleのデザインは、冒頭のAirを得た時の変化のように、
その生活や仕組みにまでが同時にデザインされていることです。

パソコンから設定をほぼなくし、
パソコンから説明書をほぼなくした。

それがMac普及の最大の理由だと思います。
よく「熱狂的な信者」がいると言われるAppleですが、
今やApple製品は「熱狂的な大衆」を得ることに成功しました。

消費者がもっとも困っていた「専門性」を排除することで、
パソコンがテレビと同じ(あるいは地デジ時代のいまのテレビより簡単かも)くらいの
簡単で便利な製品へとシフトしたのです。

難しい工業製品に、「直感」という、ビジネスに結びつきにくい「感覚」を利用した
その功績はとても大きいと思います。

理論を積み上げてできあがる製品ではなく、
こんな製品があればいいよね、という視点から生まれる製品の強さを知っている会社。

いいアイディアは、とてもシンプルなものだ、とはよく言われることですが、
それを製品を通じて教えてくれました。

おかげで、会社員時代に使っていたWindowsには、もう戻れない体になってしまいました。

これからの製品がどうなるかはまだわかりませんが、
より「感覚的に」操作でき、「心地よさ」や「楽しさ」を与えるような製品の誕生を、
Appleに期待しています。

偉大な先駆者を失うと、多くは「会社」として「集団の力」に頼ろうとするものです。
そしてその先駆者のDNAは徐々に薄れていく。
集団の力は強いのですが、個性を消す方向に働くことが多いのも事実です。

HONDAが小さなTOYOTAに見えてしかたない今日このごろ。

AppleがMicrosoftにならないように、
ジョブスという先駆者を継ぐ偉大な後継者の誕生を祈るばかりです。
posted by 原 晋 | 16:50 | 広告 | comments(0) | trackbacks(0) |